不平不満を言っても現状は変わらない不思議

こんにちは。瀧口です。

今週のブログです。新年最初ですね。
今日は私が人生で衝撃を受けた一言についてシェアいたします。

昔、とあるシンポジウムで「引きこもりの人たちを支援する団体」の方からお話をうかがったことがあります。

「引きこもり」って、20歳、30歳、場合によっては40歳50歳になっても仕事をせず家の中で家族に迷惑をかけながら過ごしてる人ですよね。

多少在宅で仕事をしてる人もいるでしょうけど、大多数は自分の生活を支えるだけの収入を得られない。そもそも得る気がない。言い訳ばかりして、他の人や世界のせいにして、文句ばかり言って自分では行動をしないダメな人。

時間が経つほど社会復帰がむずかしくなり、どんどん自分の首をしめていく。将来どうするんだろう??
まあでも自業自得だしなー。

これが私の引きこもりの人のイメージでした。

そんな人たちを支援するって、自分で何とかする問題だし、なんでそんな人たちを支援する団体なんてあるんだろう? この人はどうしてそんな人たちを支援しようと思ってるんだろう?

素朴に思っていました。

「ここにいらっしゃる皆さんは」その団体の方は話し始めました。
「引きこもりというものは、本人だけの問題ではない、環境によるものであることをご存知かと思います。」

私はあまりご存知ではありませんが、まあ、確かにそうだろうなと理解はしました。
本人の生来の素養もあるでしょうけど、それまでの生育環境や、学校、職場での環境に大きく影響されるでしょう。昭和な頃は引きこもりという人が出る余裕も社会に無かった。必然的に引きこもりも少なかった。
親に過保護に育てられて、学校には行けても社会に出てやっていくだけの自信をつけられなかった。親の言う通りに勉強をがんばってきたが、結局親の傀儡(くぐつ)のカラッポ人間であることに気づいた。人のせいにしても別に教科書の決められた問題を解くのには関係ないので、学生時代にはなんとかなっても、職場でいじめにあったり、ブラック企業でがんばりすぎてうつになったり。本人では(それを認知できない環境であったことも含めて)もうどうにもならなかったことが、きっとあったのでしょう。私も今こんなことを書いてますが、親が毒親(毒になる親。子の人生を支配する親)であればどうなっていたか分かりません。

「しかし」話は続きました。
「100歩ゆずって。仮に、本人の問題だとしても。それでも、支援は必要なんです」
「なぜならば。引きこもりの人は、働かないんです。税金が使われるんです。今は家族の人が生活を支えている人も、永遠には続きません。いつかは生活保護になります。我々の税金が使われてしまうんです。」
「本人のせいだ! 自業自得だ!! と言っていても、しょうがないんです。彼らは変わらないんです。我々が不利益になるばかりなんです。」
「なんとかしましょう。なんとかして、引きこもりから脱出させましょう。」

そんな始まり方でした。

これがもう、私には衝撃でした。

※もちろん働かない人はすべてダメだ、と言っているわけではなく、身体の不自由な方や病気など、本人が働きたくても働くことができない場合は良いとして、身体に特別の疾患がなく、精神にも問題が無いならば、労働にいそしんでほしい。社会に貢献してほしい。という文脈です。念のため。

私はモロに「引きこもりなんて自業自得だろ。いい大人なんだから。今どきネットでいくらでも情報が得られるんだから引きこもりを脱する方法だって無数に出てくる。内面の問題だとしても、それを解決する方法も無数に出てくる。それをしないのは本人や家族の問題。だからほっとけばいいのに」と思っていた派でした。

でもそうではないと。
本人だけの問題でもないし、
本人の問題だとしても、それを言っていても解決しないと。
「本人のせいだー! 本人のせいだー!」と言っていても、結果、自分に不都合が来る。
言わなくても、何もしなければ、結果、自分に不都合が来る。

個人の、他人の、勝手だと思っていたことが、自分とつながっていたんです。

この「他人のやることに文句だけ言っていても、変わらない。文句を言わなくても、変わらない。行動しないと、なんとかしないと、変わらない。めぐりめぐって自分に不都合が来る」ことが私には衝撃でした。

つまりこれは
「うわ、あの車ウィンカー出さずに曲がりおった。危ないなー。」
「ウィンカー出さないで曲がる人、何考えてんだろ。絶対そのうち事故るし。」
と思ったら、なんとかしないかぎり、そのうちその車を運転している人が、私に不都合を起こすのです。
私の車に直接ぶつからなくても、どこかで事故を起こして、警察が呼ばれて、結果税金が使われるのです。私の支払った税金の一部が。

どうしたら良いか。具体的な行動としては、たとえば「ウィンカー出さない車の取り締まりを強化してください。」という電話を警察にする。知り合いがそのような運転をしてるのを見かけたら「ちょい今の危ないで」と言う、とか。あ、ドライブレコーダーに記録しておいて、その記録を警察に提出する? この車の運転手検挙してくださいと。現行犯しか交通違反は検挙しないかもですが。ここまでいくとストーカーですが。逆恨みされそうなのでしませんが。

するしないは別にして、何もしないという選択をしたら、何も変わらず絶対に必ず自分に不都合が生じます。
何かしたら、まあたぶん警察に1回電話したくらいではウィンカーを出さない車の取り締まりが強化されたりしないでしょうけど、何もしないよりかは不都合が生じる確率がわずかでも減らせる。かもしれない。
友人関係にヒビを入れるのと天秤にかけて、行動を選択したら良い。

大事なのは「自分が行動を起こさない限り、絶対に、何も、変わらないのだ」ということを知ること。意識すること。世界中に起こっているあらゆることは、結果、自分につながっていくということを知ること。

知ったうえで、無視するならば無視するという「選択」をすること。
つまり自分に不都合が来ることが分かっているけれど、でも、放置すると決めるということ。

文句だけ言っていても変わりません。
そして文句を言わなくても、実は何も変わりません。

行動するしか、何も、変わらないんです。

でも、逆に言えば、自分がするあらゆることは、人に必ず影響を与えます。地球の裏側の人にさえも。
だから、自分が望む世界をイメージして、その世界の住人ならばきっとこうするだろうという動きを自分がすれば、世界は少しずつそのようになっていくということでもあります。

あなたはどんな世界に住みたいですか? そこの住人は、どんな表情をしていますか? 何に喜び、何に悲しむでしょうか。そこの住人のあなたならば、どんな行動をするでしょうか。

できそうなところから。

以上です。

 ガリレオサイエンス教室 瀧口幹浩