自分の行動の目的をはっきりさせる

こんにちは。ガリレオサイエンス教室の瀧口です。

私が日々どういうことを考えて授業をしたり、ガリレオサイエンス教室を運営しているのかをお伝えした方が、合う合わないが分かりやすいかと思います。ですので今後は、週に1回はこちらにて発信をいたします。

初回は。

『自分の行動の目的をはっきりさせる。』

です。

突然重いですねー。笑

 

これはなにかと申しますと。

「自分のした行動がどこにつながっていくかを意識すると、自分をもっと好きになれますよ」ということです。

 

たとえば。

お子さんに「勉強しなさい!」と怒鳴ったとします。

 

この目的は何でしょうか。

おそらく、お子さんに勉強をさせることで、お子さんが将来困らない、立派な人になってほしいからかと思います。

勉強しない子よりも勉強する子の方が、幸せになる確率が高いと思われるために、勉強をさせようとしているのだと思います。

 

最終目的は何でしょうか。

「お子さんが幸せになること」

です。

 

さて、もう一度見てみます。

お子さんは「勉強しなさい!」と怒鳴られることによって、どうなるでしょうか。

勉強をたくさんして、立派な大人になると考えられるでしょうか。

自分だったらどうでしょうか。

 

私が子供なら「勉強しなさい!」と怒鳴られても、やる気にはなりません。

親に怒られるからやる。いやいややる。勉強は苦行だと思い、その後イキイキと勉強することはできなくなります。

最終的に、不幸になる自信があります。

 

親としては、お子さんに幸せになってほしいから「勉強しなさい」と怒鳴るのに、お子さんとしては、それが不幸につながっていきます。

お子さんに幸せになってほしいのであれば、そのアプローチはやめた方が良さそうですよね。

「勉強しなさい!」と怒鳴っても、不幸になるようです。

 

では、どうするか。

どういうアプローチをすれば、勉強をたくさんして立派な大人になる、ひいては幸せな人生を送れることにつながっていくのでしょうか。

たとえば、

・親が自分の気持ちをお子さんに伝える。

・どうして勉強しなさいと言うのかを、どうして勉強してほしいと思っているのかをお子さんが理解できる言葉で、肯定的な言葉で、伝える。
(「あんたのためよ!」は、責められているように感じるのでやる気になりませんね。)

・勉強しやすい環境を整える。

・勉強を阻害しているのは何なのかをお子さんに尋ねる。

・一日の生活リズムについて、お子さんと再度決まり事を作る。

 

などなど、あります。

アプローチの方法は、たくさんあります。

 

ここで大切なのは、「何が目的なのか」をはっきりさせたことです。

目的は、(たとえばですが)「お子さんが勉強をすることで、立派な大人になって、お子さんに幸せになってほしい」です。

 

であれば、怒鳴るというアプローチではダメなんだな、と気づけるようになります。

目的に反しているな、恐怖で人を動かしても長続きしないし、かえって不幸になるな、と。

 

おそろしいことに、目的がはっきりしていないと気づくことができません。

表面的な目標「子どもに勉強させること」が達成できたからまあいいか。うちの子本当に勉強しないわね、という愚痴を言って、お子さんのせいにして終わってしまいます。

 

目的に進んでいるか、逸れているかについて気づくためには、「自分は何を目的にして、この行動をした(言葉を発した)のだろう?」と自問自答することが必要です。

その最終目的に、この行動は合ってるだろうか? と立ち止まって考えることです。

表面的な目標ではダメですよ? 子供がいやいやでも勉強したからまあいいかではなく、最終目的が何かを意識するということです。

 

最終目的を意識するようになると、生活のすべてが変わります。

 

たとえば私の日々の生きる目的は「幸せであること」です。

 

自分も幸せでありたいし、自分が幸せであるためには、他の人にも幸せであってほしいと思っています。

自分だけ幸せなようでも、他の人が苦しんでいる姿を見たら、「私が」幸せでないため、他の人も幸せであってほしいと思っています。

ですので、たとえばレストランでウエイターさんが水を持って来てくれたら、「ありがとう」と伝えます。

バスを降りるときも、「ありがとう」と伝えます。

伝えなくても生活に支障はありません。

でも、私の生きる目的は「幸せであること」ですので、感謝の言葉を伝えると自分も幸せだし、相手も幸せ。接客態度も丁寧にしてくれて私はもっと幸せ。
ウエイターさんやバスの運転手さんや店員の方などを人間扱いしない人をときどき見かけますが、それだと自分も相手も嫌な気持ちになって、最終的に自分も不幸せになりますので、私は自分が幸せでいられるように、人に感謝を伝えます。

まあ、感じの良い人というのは、周りにも支えられやすくなったり助けてもらいやすくなったりするので結局は得なんです。という打算もあったりしますがw

 

自分は、幸せになりたいと思っているのか、不幸になりたいと思っているのか。

それを決めるだけでも、変わりますよ。

 

幸せになりたいに決まってるじゃん、と思うかもしれません。が、そうでもないと思われる人は
いっぱいいまして。

店員をぞんざいに扱う人なんかには、優しい人や気遣いのできる人は去っていくので、
最終的にはイヤな人しか残らないので、結局不幸せになります。

そういう人は、幸せになりたいのか不幸になりたいのかの明確な目的が無いんです。

だから場当たり的に行動して、不幸になっていくのです。

 

「おはよう!」とあいさつをちゃんとしているか。約束は守っているか。見ず知らずの人が目の前で倒れたとして、即座に対応してあげられるか。

車を運転していて車線変更して来た車に腹を立てて入れないように速度を上げて通せんぼしたとして、その結果が積もるとどういう世界になりそうか。

それは幸せな世界か、不幸せな世界か。どっちの世界に自分は住みたいか。

 

自分は、幸せになる。

この行動は、幸せになるという目的に合っているだろうか? と常に自問自答する。

たまにまちがえたことをやってしまっても良い。その後気づいたときに修正すればいい。

許す。受け入れる。という度量の深さも必要。

 

気づくために、振り返りをする。振り返るために、目的を明確化する。

※自分は、幸せになる。って他の人はどうでもいいのか!! という「幸せになること、幸せを目指すことに 拒否反応を起こす人」が結構いますが、いや、自分も他の人も幸せにしたらいいんです。両立しますからね。
自分の幸せよりも人の幸せが優先なのよ! といって頼んでもいないのに自己犠牲をして、「私はあなたのためにこんなにやってあげたの!」と自己陶酔する人がいますが、頼んでないですし それをされると私は自分の知らないところで勝手に傷つかれるの嫌なんでちゃんと言ってくださいね。

 

とはいえ。わかっちゃいるけど、そんなことできない?

まあ、そうですよね。人間だもの。私もいつもは無理です。

ま、カンペキは無理でも、たまには意識すると人生がトキメキますヨ、ということです。

たとえば幸せになるために「許す」という選択をできたとき、自分をもっと好きになったりします。

 

自分は何の目的で行動したのか。この行動はどこにつながるのか。

ぜひ、意識してみてください。

 

以上です。

瀧口幹浩