よかれと思って

こんにちは。
ガリレオサイエンス教室の三宅です。月一ブログ、発信いたします。
今月のテーマは「よかれと思って、余計なことを言う」です。

私自身が過去によくやっていた(そして今もやっているかもしれない……)お子さんに対して、ついついやってしまうことについて書きます。

たとえば。授業前に小さいお子さんが白衣を着ようとしているときによくあるやり取りを例に、説明いたします。

ここから―――

小学1年のお子さんが、白衣を着ようとしています。
たまたま手に届いた上から2段目のボタンを、1段目の穴にはめようとしています。慣れない白衣のボタンを手に、一生懸命です。

こんなときに、親御さんは「なんで真ん中からやるの。上からやりなさい。だからボタンを掛け違うんでしょ。」なんて声をかけがちです。

そうすると、お子さんの手はとまります。
しばらくじっとしたあと、「やってー」と、親御さんに近づきます。

親御さんは、「自分で!」と言います。
お子さんは、もう白衣のボタンをはめようとはしません。

それを見て、親御さんは、「もう、これくらい自分でできるでしょ。」と言いながら、お子さんのボタンをはめます。

ここまで―――

このやり取りについてです。

この間、親御さんやお子さんの心の内側ではどんなことが起こっているでしょう。

親御さんの最初の声掛けの思いとしては、「ボタンが掛け違っている。このままだと、またはめなおすことになる。手間取るのはかわいそう。教えてあげよう。」です。

親心、お子さんのためを思って、声をかけています。

このとき、お子さんが感じることは、どんなことでしょうか。

「なんで真ん中からやるの。上からやりなさい。だからボタンを掛け違うんでしょ。」と言われて、何を感じるでしょうか。

注意された。自分はダメな人間だ。だから失敗するのか。
嫌だな。
瞬間的に、言葉で考えるわけではありませんが、感じます。

お子さんとしては、精一杯やった結果です。ふざけているわけでもなく、一生懸命に、慣れないボタンをはめました。またははめようとしています。

自分にできる精一杯のことをした結果、否定されました。

そうすると……「やり直しても、また何か言われるかもしれない」と感じます。

精一杯やっても自分がやるとまたダメ出しをされる恐怖がありますので、「やってもらいたい」と感じます。不安な気持ち、無力感を感じます。

不安な気持ち、無力感、やってもらいたい気持ち、そしてお母さんに嫌われたくない気持ち、それらごちゃまぜの傷ついた心を、安全基地であるお母さんに「甘える」ことで回復しようとします。

しかし。
親御さんは「ここで甘えさせたら、ボタンもはめられない子になっては困る」と思います。手伝うのは、この子にとってよくない、自分でやらせた方が良いと判断し、「自分で!」と言います。

お子さんは、親御さんが自分の不安を受け入れてくれないことでさらに不安になります。
自分を受け入れてもらえない。ぶたれたに近いショック状態になります。ボタンをはめる気は、なくなります。

親御さんは、ボタンをはめる気のないわが子を見て、イライラしながらはめます。

お子さんは、はめてもらえて、ちょっとほっとします。嫌われてはないらしい。でも自分のこと好きではない? と不安になりながら。

親御さんは、これくらいのことなんで自分でできないの? このまま何もできない子になったらどうしよう……と不安になります。

心の動きとしては、こんなことが起こっているかと思います。

大げさに見えるかもしれません。ですが、程度の差はあっても、方向は同じです。お子さんは自信をなくし、親御さんは消耗し、不安になります。

よかれと思ってした声かけによって、お互いが不幸になる。こういうやり取りが多いです。私も過去によくやっていました。

では、どうしたらよいでしょうか。

長年教育業界にいて学んだ、最善の方法。

それは……「声をかけず、見守る」です。

意外に思われるかもしれませんが、声をかけない方がよいです。
お子さんが誤ったことをしていても、そのまま見守ります。

たいてい、お子さんはボタンの最後で気がつきます。ボタンが足りない、などで。
そうすると、自分でなおします。お子さんが「なんか違う」と言いながら楽しそうになおすのを見られるかもしれません。指摘されてそれに従うではなく、自分で気付いて、自分でなおす。小さなことですが、自分でやりきった達成感があります。もしもなおす気力が残っていないようであれば、「がんばったね。やってあげるよ」と言って優しくやってあげるとよいです。愛された充足感があります。

最後まで気がつかない場合もあります。
掛け違えたまま歩き出すなどの、次の行動を取り始めた場合は指摘します。「それ、なんかボタンずれてるかも」というように。

時間がない場合は、気づいた時点で「それ、ボタンずれてるよ」と指摘するとよいです。

「なにやってるの」とか「○○だからそうなるのよ」などの、否定の声かけをする必要はありません。否定の声かけをしなくても、改善できます。事実として「ずれている」ことだけを指摘するとよいです。そうすることで、お子さんは、不安なく次へ向かうことができます。

もちろんケースバイケースで、お子さんが誤ったことをしたときに常に声をかけないのがよいかというとそんなことはありません。命にかかわること、物がこわれるなどの取り返しがつかなくなる場合や、片づけが大変すぎるなどの場合は、すぐに指摘した方がよいです。

大切なのは、自分の声かけによって「お子さんがどう感じるか」を意識することです。

当たり前のようですが、私はこの当たり前に気がつくまで、時間がかかりました。

私自身、自然と身についているものではないので、どういうかかわりがいいのか意識しながらですが、お子さんが自分の人生を豊かに生きられる人になるために私に何ができるのか考えていきたいと思います。