こんにちは。ガリレオサイエンス教室の瀧口です。
今週のブログは「失敗してもいい!」についてです。
以前、中小企業の社長さんの集まりのときにうちのガリレオサイエンス教室で大切にしていることについてお話ししていて「失敗したっていいじゃないですか別に。成功までの過程なんですから」というお話をした際、「いや、それはちょっと……」という反応をされました。
話を聞くと「部下が、取引先に迷惑をかけたら大変なことになる。いいかげんな仕事をされたら困るから、失敗してもいいとは言えない。失敗は困る」ということでした。
たしかに。
そりゃそうですよね。
私が言いたいのは「失敗したか成功したかの結果だけフォーカスされて失敗したことだけを責められると、委縮して成功することしかしなくなる。現在できることしかしなくなるから良くない。チャレンジできる環境をつくらないとダメになっていくのになぁ」と思ったのですが、そこで気づきました。
どうやら、失敗には、2種類あります。
ひとつめは『努力した末の、失敗』です。
もうひとつは『努力しなかった末の、失敗』です。
ひとつめの『努力した末の、失敗』について、説明します。
この失敗は、いいものです。結果として失敗に終わっても、成長しています。
挑戦することもできるし、何もしないこともできるという岐路に立ったときに、何もしないという選択をしたときは、成長しません。今の自分と変わりません。
挑戦すれば、成功するにせよ、失敗するにせよ、もともとの自分よりも成長します。
失敗しても経験は血肉となり、この方法ではうまくいかないということも分かります。次はどうしたらいいのか、まったく同じシチュエーションはそうそう無いにしても、同じようなシチュエーションや全然関係ないときにひょいと役に立ったりします。
たとえば。取引先に新たな提案をするとします。
プレゼン発表の日までに準備を重ねて、企画を練って、万全を期して発表をした。
その上で取引先が、別の社の提案に乗り、自分の会社の提案を採用しなかった。
全力でやったけれども、失敗という結果に終わった。
これはもう、しょうがないと思います。私が上司や社長であれば、評価としては「よくやった!」です。
担当者への評価は下がりません。上司や社長に先見の明がなかったという反省はしますが、担当者への評価はむしろ上がります。
修正して何度もやれば、そのうち成功することが分かりきっています。
万一成功しなくても、現状維持を続けて最終的にジリ貧となり企業として死を迎えるよりも10000000倍良いです。
これが私が言いたかった方の、失敗してもいいじゃないか、です。
対してもうひとつの『努力しなかった末の、失敗』について、説明します。
これは、良くないものです。
講ずべき対策をせず、ただやってみた。結果、うまくいかなかった。
そりゃそうですよね。うまくいかないに決まっています。
もしもうまくいったとすれば、それはその人にとって最初からできることなので成長につながっていません。問題にもなりません。挑戦にすらなっていません。
たとえば。取引先に新たな提案をするとします。
プレゼン発表の日までなんとなくで過ごして、ブラッシュアップせずに発表をした。
その上で取引先が、別の社の提案に乗り、自分の会社の提案を採用しなかった。
案の定、失敗という結果に終わった。
これは、ダメだと思います。私が上司や社長であれば、評価としては「ふざけるな」です。
上司や社長の指導する力量のなさを反省するとともに、担当者への評価もぐっと下がります。
講ずべき対策をせず、手を抜いて漫然と取り組み、失敗する。
この失敗はダメです。
努力をしたか。全力を尽くしたか。真摯に取り組んだか。
失敗という結果だけを見ると、努力をした人もしなかった人もどちらも同じです。
しかし、これが継続すると明らかに努力をした人は成長しますし結果を出すようになります。
ここで結果の部分だけ見て努力の部分を見ずに「失敗したね。ダメだね」という反応をすると、努力した人も嫌になります。努力する気がなくなります。
そこは、評価しましょう。
努力を楽しいと思う人と、
努力を苦しいと思う人の2種類の人がいます。
伸びるのはもちろん、努力を楽しいと思う人です。
そしてその人はもともと努力を楽しいと思っていたのではなく、努力を認めてもらった経験の多い人です。
努力・がんばりを認めてもらった経験が多いと、結果に関わらず挑戦することができるようになります。
じゃあ努力すれば結果はどうでもいいのか? 努力しさえすれば俺えらい! も、ちがいます。
残業をしてる俺えらい! ではありません。
その残業は、効率化をした結果のものか。成功につながるか。家族を犠牲にしてまでがんばる自分に酔いたいだけではないか。
成功に向けての道筋を描いて、その方向性に沿った努力をしているかどうかが大切です。。
その場合、失敗をしたとしても確実に成功には近づいています。そのうち成功します。その場合、失敗は成功のための過程でしかないです。
ということで「失敗してもいい!」は、努力の末の失敗だったら、良い。ということです。
努力をせずに失敗した場合。それでも何もしない人よりかは成長にはなります。
失敗の影響が自分だけにあるのであればそれでも何もしないよりかはマシです。ただ他者に影響を与えてしまう(会社に損害を与えるなど)場合、自分への評価が下がり、その組織に居づらくなり、結果自分が不幸になっていきます。
努力できる人になりましょう。
お子さんであれば、努力できる人に育ってほしいですね。
むずかしいテストで良い点を取った。たとえば95点を取った。
結果だけ見て「良かったね」とか「がんばったね」とか言うのではなく。
「95点だったね。昨日ちゃんと宿題やってたもんね」と言う。または、
「95点だったね。どうやってこんないい点とれるようにしたの?」と子供が何を努力したのかを聞く。
テストで悪い点を取った。たとえば60点を取った。
結果だけ見て「なにやってんのあんた」と言うのではなく。
「60点だったね。今はどんな気持ち?」「次はどうしたい?」
「具体的にどうやっていこうか」「何か手伝えることある?」と
結果を責めるのではなく受け入れて、次にどうやって努力していくか道筋をサポートする。
私は何にでもチャレンジできますし、努力も苦に思わないタイプの人間です。
これは、生来のものとか、私が何か努力をしてこうなったとかではなく、たまたま親が努力を認める人だったからだと思います。
失敗それ自体は良いのです。何にせよ、何もしない人より成長します。
結果ではなく努力(求める結果に向けての正しい方向性の努力であったかどうかも含めて)。それを認める声かけをしましょう。
そうすることで、お子さんは失敗を恐れずイキイキと挑戦し、成長し続けられるようになります。
以上です。
ガリレオサイエンス教室 瀧口幹浩