ひきこもりになるのは親の甘やかしが原因、という考え

こんにちは。瀧口です。

いつもありがとうございます!

 

先日久しぶりに出席した飲み会で、これはとてもヤバいと感じたことがあったのでシェアいたします。

飲み会中の話で、次々話が飛びますことをご了承ください。

 

スクールバス待ちの児童に包丁で切りかかった川崎市の事件を受けて、ある方が「ひきこもりになるのは、親の甘やかしが原因だよね」とおっしゃったのですね。

あー、この方は分かっていないのだなーと思い、以下の説明をしました。

親御さんがお子さんに、良かれと思って厳しく接して、勉強はできるようになったかもしれないけれど、人とコミュニケーションする方法などを学べなくて、結局ひきこもりになってしまうこともありますよ。親御さんが甘やかしたからなるというわけではないですよ。

それを受けてまた別の方が、「でも、家で養ってるじゃないですか。外の世界に出せば、いろんな価値観の人と会えるんだから成長しますよ」のようにおっしゃいました。「家で養ってるんだから甘やかしですよ」

なんか昔の自分を見ているようで悲しくなりながらも、説明を続けました。

家で養わない場合は、たしかにひきこもりにはなりませんが、ホームレスになって盗みを働いたりやくざになったりオレオレ詐欺をやったりするようになるだけで、根本的な解決になりません。

3年前に相模原で起こった障害者施設殺傷事件(19人が死亡)の加害者の男性は事件時無職でしたが、同居していた両親は息子の暴力に耐えかねて家を引っ越して加害者のみにして自立を促しています。しかし事件は起こりました。つまり、家で養うから問題というわけではありません。自分の子供が人様に迷惑をかけるかもしれないから家で養っているというご家庭はたくさんあります。ネグレクトをするような無責任な親は子供をつき放します。責任感がある一般的な親御さんだから、ひきこもりとなった我が子を家で養うんです。

もちろん親御さんに原因がある場合がほとんどです。甘やかしすぎてお子さんがひきこもりになる家庭もあります。暴力やネグレクト(育児放棄)といった虐待によるものもあります。ただ、特別甘やかしたからとか、特別厳しくしたからとか言えないことがあります。単純にお子さんへの接し方を知らず、良かれと思ってやってることが、お子さんをダメにすることもあります。親御さんの接し方がお子さんの性格に合わずになることもあります。日本の教育(子育て教育)の遅れによって引き起こされているものが多分にあります。さらに、お子さん自身に(発達障害などの)ひきこもりにやりやすい素養を持って生まれる場合や、不幸な事故によって心に傷を負った場合など、親御さんが常人ができる限界の範囲でやれることをやり、心を砕いて育てていてもひきこもりになることもあります。

 

また言われました。

「でもひきこもることを選んだのは自分ですよね。自分で成長しようという気がないから。」

今度はひきこもった本人を責める発言です。自己責任論です。

また説明しました。

ひきこもりになるというのは、環境と本人が生まれ持った気質が大きく、本人が自分でどうにかできるものじゃないんです。たとえば私は今たまたま幸せに暮らしていますけど、それはたまたまであって、虐待されるようなひどい環境に生まれていたら、私だって平気で人を殺す人になってたかもしれません。確率の問題であって、本人が自分でどうにかできるものではないんです。

反論がありました。

「しかし私は虐待されてましたけど、今はちゃんとやってますよ」

「昭和の頃の親なんてみんな虐待みたいなことしてるじゃないですか」

「うちで働いてる子なんか母親が浮気で離婚したけど母親に引き取られて満足に育ててもらえなくて、これこれこうだけどうちで立派に働いていますよ」

 

あー。

虐待の程度というか、凄惨な現場を知らないから言えるやつですね。

幼い女の子。片親である母親が日常的に家をよく空けていて(いい子にしてないとランドセルもらえないよ、と言われているので静かに待つ)ある時3日間帰ってこず、ひもじい思いをしながら赤子の弟の世話(といっても水を飲ませたりなでたりする程度。おむつを替える体力も残っていない)をするけれど、弟が泣くこともできなくなってふるえ始めて、そんなときに親が帰ってきてやっと助かる!と思ったらコンビニの袋に菓子パンなどの食料を入れたものを玄関に投げてすぐ出ていかれる絶望。

また別の5歳の女の子ですが、朝4時の起床を強要され、父親から平仮名の練習をするよう厳しくしつけられ、満足な食事をさせてもらえず、殴られ、ベランダに放置され、

もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから
もっともっと
あしたは できるようにするから
もうおねがい ゆるしてください

こんな手紙を書く中でも虐待は続き、死亡。死亡時の体重は12.2キロ。(5歳児の平均は18~19キロ)

弱いものをいじめるのが大好きな親の元に生まれ、日々おもちゃにされ続ける。

父親に9歳のころから性行為を強要され、母親は見て見ぬふりをされるどころか「あんたが誘ってるんでしょ!」とキレられる虚無感。

何をしても褒められず、ダメなことばかり指摘され続け、生きる気力がなくなる無力感。

 

小学校に通うことになっても不潔、陰気、勉強ができない、給食だけは食べる、寝てばかりといじめられる。そんな中をからくも生き延びた人間が、しかし普通の生活を送れずひきこもりになってしまったデッドエンドに対して

「でも結局は本人の選択でしょ」と言うのかと。よく言えるなと。知らないから言えるのでしょうけれど。

※「虐待 サバイバー」で検索してください。

 

暴力や食事をあげないといった、ある意味わかりやすい虐待だけではなく、人格を認めないという接し方でも人はダメになるのですが、それらを「本人のせい」と思ってしまう。

いや、だって自分もされてきたし。俺だって不幸だったよ。親父に殴られながら育てられたから、人の痛みが分かるんだ。など。

 

確かに、多くの場合、最後の選択は自分でします。(選択する前に殺されてしまうこともあります)

ひきこもるという選択も自分の選択と言えばそうなんです。劣悪な環境にいても、でも、なにくそ! と思える人もいます。同じように虐待されても、全員が全員ひきこもりになるわけではありませんし、全員が全員ヤクザやオレオレ詐欺の人になるわけではありません。本人の生まれ持った「気質」があり、生来のものとして楽観的な人もいれば悲観的な人もいます。抑圧されたら反発してヤクザになる人もいれば、抑圧されたら我慢して順応しようとしてそのままひきこもりになる人もいます。それは本人が好きでそう生まれたわけでは無く、たまたまです。偶然生き延びて、周囲に恵まれ幸せをつかむ人もいます。

そのたまたまの中の一部を切り取って、「どんな逆境でも生きられる人はいる。だから結局は本人の責任」と言う無神経さ、無知さに腹が立ちました。

 

何に一番腹が立ったかって、この話が経営者の集まりの飲み会だったことです。

みなさん私よりも経営歴が長く、社会貢献事業を心から考える志の立派な経営者さんの集まりだったんです。

そんな方たちが、まだ、そのくらいの知識なのかと。昭和かと。

正直、20代30代40代の今の保護者様の方が、家庭環境が心身に与える影響をよく理解しておられます。

でも、もしかするとこのブログを読んでおられる方の中にも、「結局は自己責任」と思っておられる方もいらっしゃるのだろうなぁと思い、今回書きました。

『あなたが今ある程度幸せに生きているのは、偶然の要素が大きい、たまたまです。』こう書くと、いや、自分は努力したから、と思うと思いますが、その「努力できる環境にあった」時点ですでに恵まれているのです。家で学校の宿題をしていたら「中学しか出てない俺への当てつけか!」と殴られる環境や、寝ていたら夜中に理由なく蹴られる環境でなかった。食事は用意されず家にあるものを食べると殴られ、気が向いたときに床にまかれる食べ物を犬のように食べることを義務付ける家でなかった。自分が寝ていいふとんがあった。もちろんギリギリで生き延びた方もいらっしゃるでしょうし、すべての努力を否定するつもりはありません。ただ、運悪く虐待する家庭に生まれ、良識ある大人に助けられることなく亡くなっていくお子さんや、生き延びたとしても社会生活が営めない状態の方がいらっしゃることを、どうかご理解ください。

私も、ひきこもりの100%に本人の責任が無いとは言わないです。でも99%は本人のせいではないと思っています。たまたまの、環境。たとえばネグレクトされて食べるものがなく、3日目、仕方なくスーパーで食べるものを盗んだとして、それって環境が悪いせいですよね。いや、もちろん困窮している状態を信頼できる大人に話すことができたら良いですけど、そんな発想にならなかったり、そういう大人が思いつかなかったり、相談したことが親にばれるとひどい暴力に遭わされるという恐怖があるのに、それでも「盗みを働くのは悪い。盗みを働いたのは本人の選択。本人のせい」はないでしょうと。
「お父さんにぼう力を受けています」学校でいじめのアンケート(ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてくださいと書かれたもの)に書いたものを、学校が加害者である親に見せ、学校に通わせてもらえなくなり暴力で自宅浴室で死亡した小学4年生の女の子が、もしも生き延びていてひきこもりになったとして「でもあなたにも原因があります」とどうして言えるのか。どれほどの絶望か。大人の、私もあなたも含めた大人である私たち全員が、お子さんを守れない社会を作っていることが原因でしょう。

生きて支援を受けられれば、ひきこもり状態から脱出できる可能性はあります。多くは環境によって引き起こされるものなので、環境を変えることで改善できるのです。環境を整えることで、そもそもひきこもりになる人を減らし、ひきこもりになる人も含めあらゆる人を支援できるのです。それは私たち1人1人の普段の心構えと行動によってできます。私たち全員の、1人1人の行動によってです。(少なくとも「自己責任でしょ」「家族が悪い」「行政が悪い」「学校が悪い」と言っている他人事のうちは、無理です。)

ただその飲み会でいろいろ説明したものの、経営者の方たちは「自分が源泉」という考え方が染みついていて、環境によってそうなることがある、ということが受け入れられないように感じました。おそらくまだ「本人の責任」と思っておられると思います。これはむずかしいですけどね。たしかに最後は本人の責任だから。ひきこもりから脱出するには、そこ(最終的な選択は自分がした)を本人が認めないと次に進めないから。でも私が言いたいのは、そう単純じゃないですよ、環境によってはあなたも、わたしも、そうなっていた恐れがあったのですよ。だからお互いに支え合える社会をつくりましょうよ、ということです。

本人のせい、親のせいと言っていても何も始まらないのです。私が、自分が、あなたが、他の家庭の環境も変えていくことはできますからそれをやっていきましょうよということです。社会を変えていく。つきはなすのではなく、お手伝いできることはありませんか? と。ちょっとイライラしている人に優しくするとか、外で見かけたお子さんに変な様子があればそれとなく様子を見て場合によっては児童相談所に相談するとか、経営者なら従業員が早く帰れるように配慮するとか、家族の方にも誕生日を祝うカードを送るとか、道ばたのゴミをひろうとか、妻や夫に「ありがとう」と意識して言うとか。社会全体がほっと幸せになれば、ひきこもりになる人は、減ります。発達障害やひきこもりについての本を読むとか。他人事、ではなく、自分事にしましょうよ、ということです。

以上です。乱文失礼いたしました。

瀧口幹浩

追記:昔こんな記事を書いていたので合わせてどうぞ。↓

不平不満を言っても現状は変わらない不思議