こんにちは。瀧口です。
正月が明けましたね。実家(自分または配偶者の)で家族で過ごされた方も多いのではないでしょうか。
今回は、家族間のやりとりについてお話します。
昔、野外実習の引率したときの、あるお子さんの話です。
ちょっとした休憩時間のとき、ふと見ると、あるお子さんが別のお子さんで遊んでいました。
別のお子さん「で」、というのは誤植ではありません。別のお子さん「で」、遊んでいたのです。
小4くらいの男の子が、小2くらいの男の子の首に腕を回してしめたり、顔をつかんでベシベシしたりしていました。ちょっかいを出すのひどいバージョンです。
された子は反抗します。が、する子は、やめません。
「何してる! そんなことしたらダメだろ!!」
かなりひどいので、本気で叱りました。
そしたらその男の子。叱られたことにびっくりしてやめましたが、こんなことを言いました。
「いや、いいねん。だってこいつ、オレの弟だし」
?
はあ? って感じです。
??? です。
もちろん、兄弟であることは知っていました。兄が、弟を、おもちゃにしてるんですよね。
で?
なんで、弟だと、ひどいことをしても「いいねん」になるの??
私は閻魔(えんま)の如く叱りました。
10年以上前のことですが覚えてるくらい本気の叱りです。
ちょっかいを出すとかかまう程度では私もそんなに言いません。でも、しつこく自分の力を誇示していました。優越感を感じるためでしょうか、ずっとたたいたりつねったりしていた。それは、駄目です。
ここでこの子が「悪いことだ」と分からなかったら、この弟くんは、ずっと、兄のおもちゃにされます。それは弟にとっても、兄にとっても、健康的な関係ではありません。
で、実は私、この「兄が弟をおもちゃにする」に心当たりがありました。
私も同じことをされてきたのです。
今でこそ、兄も幼かったし、弟の私がかわいかったからだろうなぁというのは理屈としては理解できます。(感情面で当時のことを許してもいいかな、という気になったのは、ごく最近です。)
兄が小5とか小6とか中1になったときもプロレス技の実験台にされていたので、そのころの兄を幼いと言っていいのかは微妙ですが。兄と私は5歳違いです。学年としては6つちがいです。同じ部屋に兄がいると、常に緊張していました。気分でぐりぐりしたりしますし、遊びで殴られて(ぐらぐらしていた)乳歯が飛んだこともあります。
親を呼んでも、本気では叱りませんしね。
いや、叱るんですが「絶対に、断固として、許さない!」という叱り方ではなく、どこか、兄弟なんだから仲良くしなね、という許容が見える叱り方なのです。
いやー、参りましたね。力では絶対かないませんので。
幼稚園年長の私が小6の兄を、ほどほどに制するということがどうしてもできなかったのです。やられっぱなし。抵抗しても勝てないんですよ。もちろん、はさみや包丁といった武器を持って本気で突いたり、目などの急所を全力で攻撃すれば私でも兄に勝てる手段があるのは分かっているのですが、それはかわいそうなのでさすがにできません。愛情があるからかまっているというのも感じていますし。
私が憎かったとかではなく、単にかまう手段が肉体的なものだったのでしょう。私がどう思うかとかはどうでも良くて、単に、自分がかまいたいから、かまいたいように、かまう。悪気はないのです。逆に、愛情はあるのです。かわいいから、ついかまってしまう。という感じです。私も愛情は感じているのです。
そこがやっかいなんですよね。「愛情はある。」
もしこれが、赤の他人で、見ず知らずの人から「嫌だ!」「やめて!」と言ってるのにプロレス技をかけられたり殴られたりすれば、私はどんな手段を使ってでも(たとえば鼻に全力で頭突きをするとか)抵抗をします。親も、本気で止めるでしょう。
でも、兄なんです。家族なんですよ。愛情があるのも、感じているんです。
だから、私としても、本気での抵抗ができない。
本気で嫌だしやめて欲しいと感じているし、やめて! とか相手にも伝えているのですが、聞いちゃいない。
自分の方が力があるとか、同等くらいの力があるとか、少し劣るくらい、であればまだ「力で相手をほどほどに制する」ことで止められますが、差が大きすぎるとそれができなくなってしまうのです。相手に深刻なダメージを与えることでしか止められないから。
だから、抵抗はするけど、結果的にされるがまま。相手の気分のままです。
さて。
お気づきかと思いますが、これは、親と子の関係も、そうなんです。
子にとって、親は絶対的な存在です。
親がおかしなことをしたり自分を傷つける言葉や行動をしても、子は、それに従うことしかできません。
本気の抵抗はできません。親に気に入られないと、ヘタすると殺されてしまいますので。
力の差が大きすぎるのです。
だから、いや、そのセリフを赤の他人に言ったらドン引きされるだろ、と思うようなことを子に言っても、子は、聞くしかありません。
「早くしなさい!」「なんでこんなに成績悪いんだ!」「バカじゃないの!?」
聞くしか、ありません。
自分を育ててくれている愛情を感じていますので、無下(むげ)にできません。
「そんなキツイ言葉使わなくていいじゃないか!」と子が親に反抗すると、どうなるか。
「だってあんたが早くしないから悪いんでしょ!」と返ってくる。
いや、これ、他人に言いますか?
もし、他人からこんなことを言われたら、どうするか。
あ、この人とは付き合えないな、と判断して、友人関係を終わらせます。
お店であれば、二度と行きません。クレーム入れます。
あの人常識無いから近寄らない方が良いよ、と他人に忠告します。
でも、子は、従うしかありません。
おかしなことを言われても、親が自分の生活を支えているので、従うしかないんです。
子が自分から離れられないことを知っているので、親は、平気でひどいことが言えます。
「なんでそんなこともできないの」「もっと勉強しなさい」と言っても、子はギリギリまで耐えますしね。
昔、目黒で中学2年の男の子が両親と祖母を殺害した事件がありました。
その日、テストの返却があって、親に成績のことでひどいことを言われたからだそうです。1回や2回のことでは無かったようです。ずっと溜まりにたまっていたものがあったのでしょうね。
どこにでも普通にある家庭の事件、として当時は注目を集めましたが、私が異常に思うのは、これが「どこにでも普通にある」という現状に対してです。
子であろうが、親であろうが、他人であろうが、
「人に対して、失礼なことは言ってはいけない。やってはいけない」
これが、基本ではないかと、私は思います。
いや、そうは言っても、厳しく言わないと勉強をやらない子はやらないぞ! 理想主義で現実が分かってない! という反対の声がありそうです。ですがそれは、体罰をOKと言ってる人と同じで、手段を知らないだけです。
体罰をしなくても、スポーツ選手を伸ばすことはできます。
人格を否定しなくても、勉強できます。
逆に、子が、親に対して、失礼なことを言ったりやったりすることもあります。
これも根本は同じで、子としては自分が何をしても親は離れないと知っているからです。
だから平気で失礼な言葉遣いができるし、親が傷つかないと思って配慮のないことを言ったりします。
これも、ダメです。
する側の方が強いことが多いので、対処がむずかしいのですが、されたときは、親の立場であっても、子の立場であっても、
まずは「その言葉は傷ついた」と相手にはっきり伝えることですね。
自分がどの立場であっても、家族を、一人の人格のある対等な人間として、扱うことです。
自分が、家族に対してどのように接しているかをふりかえってみてください。
赤の他人であっても同じことができるか。
家族だからOKなのだとしたら、それはどうしてOKだと思うのか、を自問自答してみてください。
※愛情があるから言うんやで! というのは、論理が破たんしています。愛情があるということと、人格を否定する言葉をかけるというのは、まるで逆です。勉強しなさい! と言っても、相手が追いつめられているように感じて勉強する気がなくなるならば、それは、攻撃でしかありません。「もっとがんばりなさい」も、現状の否定ですね。お前はがんばってないからできないんだ。「がんばれ!」と言われても、やる気にはなりません。仕方ないからやらなくてはならないなぁ、という義務になります。勉強とは苦痛なもの。苦役と認識するようになります。使いどころにもよりますが。なお、「馬鹿じゃないの!?」という声をかけることによって、奮起して勉強をしだす人はマゾだけです。普通は「馬鹿じゃないの!?」と言われたら嫌な気持ちになって、やる気がなくなります。ではどんな風に接したり声をかけたりしたら良いの? はおいおい説明いたします。
すべての人が、笑顔で暮らせる世界にしたいですね。
以上です。
ガリレオサイエンス教室 瀧口幹浩